エネルギー問題と気候変動問題を切り離せ

エネルギー問題と気候変動問題を

切り離せ           June 04 [Sat], 2011, 11:46

 

 「二酸化炭素25%削減策の検証 ― エネルギー問題と気候変動を切り離せ」という、しばらく前に朝日新聞「私の視点」に投稿して蹴られた文を、「もったいない」ので紹介する。(他にもあるが。) 

[注: 「もったいない」は、横浜国大グローバルCOEの課題である東西概念比較でも考察中の、日本独特の感性の一つである。]

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二酸化炭素排出25%削減策の検証 ― エネルギー問題と気候変動問題を切り離せ」

 民主党政権は、鳩山前首相が宣言した「二酸化炭素排出を1990年比較で25%削減」(以下、25%削減)の方針を変えていない。しかし、これは日本の社会や経済に大きな影響を与える政策であり、妥当性を慎重に検証すべきだ。

 特に、①「気候変動を抑制できるか」と、②「気候変動枠組条約(以下、枠組条約)から見て妥当か」が重要だ。最新の知見によれば、答は共に否である。

 まず①。2007年のIPCC(気候変動に関する政府間委員会)第四次報告書以降も、気候科学の進展は目覚ましい。その結果、二酸化炭素以外の人為活動や自然変動の重要性が大きく増した。

 例えば、中国やインドで質の悪い燃料を燃すために放出されるススは厚い「アジア褐色雲」となり、地域の気候にいろいろな悪さをする。また太陽や雲、海洋の変動の影響が想像以上に大きい。二酸化炭素を減らしても異常気象や気候変動は防げないのである。


 反論もあるだろう。「地球の気温は上がっているのでは」、「ヒマラヤの氷河は解けているのでは」、「ハリケーンや竜巻が増えているのでは」などだ。幸いなことに現在、このような一つひとつの疑問に、ほぼ答えられる段階になっている。 

 例えば、気温データの誤差は驚くほど大きい。実際、20世紀の気温は過去千年の中で異常に高いという研究報告は、間違いだったことが判明している。現在の温度計測定にも問題点が多い。誤差を考えると、ここ15年は気温は変化していない。ヒマラヤ氷河の後退は、主に降水量が減ったためだ。そして、ハリケーンや竜巻の数が増えたのは観測体制が充実した結果らしい。

 次に②。枠組条約は、温室効果ガスの排出量を取り決めた京都議定書の基となる国際条約だ。しかし枠組条約には、「持続的な発展を阻害しない限り」と明記してある。最近の経済的検討は、25%削減策がこの要請に反することを示している。

 25%削減の経済的影響評価には、GDPが数%減少するという結果が多い。これは新エネルギーへの移行など、社会が十分に対応できての話であり、現実のGDP減少はさらに大きいだろう。また、GDP減少の影響は社会の中で均一ではなく、弱い個所が大きく傷つくことになる。これはさまざまな形で持続的発展を妨げる。ヨーロッパ諸国の目標値を見ると、各国の事情に沿っており、無理はしていない。

 結局、25%削減は気候変動を抑制できないばかりか、社会的に危険な政策といえる。エネルギー問題と気候変動問題は切り離して考えるべきだ。そうすれば、石炭火力発電を初めとする日本の省エネ技術の輸出など、もっと多様な戦略が可能になる。

 気候変動については、社会の脆弱性を減らすのが効果的だ。25%削減にこだわりたいなら、特区を設けて試行し、その成果を海外に発信すればよい。一刻も早い政策見直しを望む。
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 脱原発を目指しながらCO2の25%削減も堅持する、というのは、無知から来るやせ我慢にすぎない。スポーツに譬えると、運動中に水を摂らないという古い知識にこだわって、マラソンで脱水状態になるようなものだ。頭を柔軟にした方がよい。

 「観点と戦略の多様性」が、より良い新しい解を生むことは、「数学的に証明されている」のだ。従って、多様な意見が取り上げられない文化は硬直するしかない。

 なお、知りあいの新聞記者によれば、この種の内容の文が朝日新聞に載るのは無理だということだった。うろ覚えだが、載りやすさの順番は、毎日>日経>>読売>朝日 というような感じだということだった。(違っていたら失礼。) それはそれで面白い観点ではある。