GE原発関係者取材記事より

GE原発関係者取材記事より      April 25 [Mon], 2011, 10:43

 

 4月24日朝日新聞、ザ・コラムで、ニューヨーク支局長の山中季広氏が米国GEの原発関係者の取材報告をしている。気になったところを抜粋する。

 対照的な二人の登場人物がある。一人は、原発技師だったデール・ブライデンボー氏(79)。もう一人は、スリーマイル島事故当時の米原子力規制委員長ジョセフ・ヘンドリー博士(85)。

 ブライデンボー氏は、マークI型原子炉の欠陥を巡って社内で孤立し、抗議の辞職をした。彼はこう言っている、「福島の事故は地震津波のダブルパンチのせい。マークIが自壊したわけではない。でも在職中に私がもっと声を大にして改良を訴えていたら、これほどの壊滅には至らなかったかもしれない。草創基の原発マンとして悔いが残ります。」

 ヘンドリー博士は、「マークIを全面禁止から救った男」と呼ばれている。彼は、72年に規制委員会内で出た意見、「マークIは格納容器が小さすぎ、水素が大量発生すれば容器は耐えられない」、「全面禁止にすべき」という主張に対して反対した。彼の意見は次のようなものだった。「全面禁止は非現実的。原発各社も規制当局も大混乱する。そうなれば、もう原子力の終わりだ。」彼の意見が通り、マークIは生き残った。

 ヘンドリー氏は、「安全な原発とそうでない原発の間に線を引くことなどおよそ不可能」、「仮に福島の原子炉がマークIとは別の型だったとしても、あの揺れとあの波では同じように破壊されていた。」と述べた。

 これ以上の質問をさせないという強い口調でヘンドリー博士は次のように言った、と山中氏は書いている。「人類は革新的技術を手に入れるたび、痛ましい事故に見舞われた。それでも我々は克服して前進してきた。福島の悲劇もその例外ではない。」

 山中氏は、まとめで次のように書いている。「70年代初め、敦賀や福島を訪れたGE技師たちは教師役で、東芝や日立、東京電力の担当者たちが生徒だった。「1万年に一回しか壊れない」と自身顔の教師に向かって生徒の側から「津波対策がなおざり」と指摘するのは無理な注文だったのだろう。」、「米国流の科学万能思想に支えられた老朽原発に頼り続けるのでは報われない。」、「大体エネルギーで原発を凌駕する、「凌原発」社会を目指したい。」


 この記事を見て、皆さんはどう思われただろうか。「1万年に一回しか壊れない。」というGEの「教師」の発言と、「革新的技術を手に入れるたび、人類は痛ましい事故に見舞われてきた。(原子力も例外ではない。)」というヘンドリー博士の主張の違いはどうか。もし、原発導入当時、ヘンドリー博士がこのように説明していたら、そして、それが日本の国民に公開されていたら、果たして原発は導入されただろうか。大変疑問だ。

 また、ヘンドリー博士は初めから、原発を使うに当たって痛ましい事故に見舞われるのは仕方ない、と考えていたのだろうか。それとも、チェルノブイリや福島の事故を見て、そのように考えたということなのだろうか。山中氏はそれ以上質問ができなかったということなので、それは謎のままである。

 そして、これは一番重要なことだと思われるのだが、福島の事故は、マークIだけでなく、どんな原子炉だったとしても起きたと、ブライデンボー氏もヘンドリー博士も考えている。つまり、あのような大地震や大津波が来る場所には、どんな原子炉も作ってはいけなかったと、米国の専門家達は考えているのだ。言外に、なぜそんなところに作ったのだ、という彼らの思いが聞こえてくるようだ。

 今、彼らの目をもって、浜岡原発を初めとする他の原発も見直すべきだろう。なにしろ、「1万年に1回しか壊れない」と言った「教師」が間違っていたのだから。

 山中氏の「凌原発」は、どのような用語で呼ぼうと、当然ながらこれからの日本が目指すべきところだ。しかし、コストや安全性の面では、既に「凌原発」技術はある。むしろ、原発は自ら後退し、他のエネルギー源に席を譲らざるを得なくなっているのだ。その意味では、現在は「沈む原発」の時代である。